北海道旅行 最終日 中学校式典、喫茶店 そして旭川→完 ― 2010/11/12 00:00:00
「はい・・・ 」
『朝食があと30分で終わりますが?』
「あ、 げっぷ すいません、朝食パスです」
そうなのだ、昨日は飲みすぎてしまい、お酒が残ってしまうくらい飲んでしまったのである。
いやいや注意はしていたのだが、一生に何度かしか会えないかも知れない同級生との仲では仕方が無いだろう。
とりあえず髭をそり、身なりを整え、スーツ着用。
このホテルに泊まった理由が、これ。このホテルの広間で行われる。こういうのを断るのも簡単かもしれないが、自分の中に思い出も何も無くなるのも、いささか寂しい事だ。こういうきっかけで北海道へ旅行をするのもありだ。
さて、中に入ると懐かしい昔の中学校の校舎が映し出されている。
知っている方は、小学校の時一緒に遊んだ同級生と中学の時の知り合い、そして妹の先生でもあり、同級生の父でもある方とお会いできた。僅かな時間をぬっての会話だったが、当時の事をお互い思い出しながらの会話だった。
そんな時間もすぐに経ってしまい、いよいよ帰る時がやってきた。帰りは列車。時間をチェックするとまだ2時間位ある。タクシーで駅近くの喫茶店を紹介してもらい、この場所へ。
式典は、カニやらお刺身やらが出されたが、少し口にしただけで、殆ど食べなかった。そして、前日の酔いが抜けて、おなかが空いたので、卵サンドを注文。コンビニとかで売っている卵サンドとは訳が違う身の入り方と量。美味しいなあ。
ん?
何か古いオーディオセットや、年季の入ったカセット。
見渡すと単行本や漫画の山。
※クリックすると拡大パノラマ
これは高校生の時、来た記憶が。だとすると、昔と変わらない?ソファーなんかはくたびれてしまっているが、繕って大事に使っている。
卵サンドをかじりながら、ゆっくり辺りを見渡す。やっぱり、ここ来た事がある!
恥ずかしいけど、ここで訊かないでいつ訊くのか。マスターに
「○○にいた××の息子の□□ですが、ご存知ですか?」
そこからが早かった。もう当たり前の様に知っていた。見たことがあるけど、似てる人だなと思っていたらしい。もうかれこれ28年位やっているとの事。
色々話が盛り上がり、カウンターへ卵サンドのお皿を持っていって、コーヒーも追加する。
私の父や母の事を良く知っていて、私の知らないエピソードまで聞けるとは夢にも思わなかった。
高校卒業後、良く立ち寄ってくれた方々が、最近では中々来なくてという言葉が心にしみる。
気が付くと、列車が来る時間だ。どんなに時間があっても足りない位だ。この店と別れを惜しみつつも、いつか再会があると信じ、マスターと堅い握手を交わし店を後にした。
士別駅。変わったところといえば、発券機がある場所。それ以外の物は殆ど変わっていない。待合室の売店だって変わっていない。あ、変わった所があった。トイレが水洗になっていた。
これまでの思い出を振り返りながら遠い所を見ていると、なんと昨日の同窓会のTさんだ。
いやびっくりしたよ。よく帰りの列車が分ったね。語るには、やっぱり時間が少なすぎる。今度正式な同窓会でもやったら、また来るよ。奥さんにもよろしく。
旧友に見送られながら、12年振りの士別を後にした。
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旭川到着
乗った列車は、3両。うち2両が指定。そんなに混まないと思っていたら、自由席は立ち席に。
まあ、特急なら40分位で旭川に着くからな。
そして、旭川駅到着。なんと、駅が新しくなっている!! あの昔のホームはどこ?
旭川駅は、現在改良工事で色々と工事をしており、旧旭川駅から連絡通路で、新しい旭川駅に連絡するようになっていた。
便利になるという事は、失うものもあるという事なんだな。
不満といえば、旭川空港行きバス乗場までの距離が遠すぎる。
かといって、タクシーだと4000円位かかる。バス乗り場は、30分以上待ったが、その間に痺れを切らして乗り込むのを待っているかの様に、タクシーが時折止まってみたりしている。
バス乗り場の行灯、電気が切れているから最初やっていないかと思ったくらい分りにくい。
バス運賃は前払いで290円。荷物を別に積む方がいて、渡すだけである。
バス内のビデオを見ていたら、旭山動物園の事をやっていたのだが、途中のコマーシャルに、旅行一日目に行った田子兵衛が出ていた。なんだ、色々有名なんだな。
帰りもエアードゥ。飛行機では、なんと座席1Dという一番前の通路側。1A~Cはブランク席。このメリットといえば、到着時すぐ降りられる事。デメリットは、手荷物の入れるスペースがないので、スチュワーデスに持っていかれて、ブランク席にシートベルト固定される事と、緊急時の説明を実際にデモしながら説明したり、スチュワーデスが対面にいるので落ち着かなかったwww
エアードゥの機内名物、オニオンスープ。お土産に買おうと思ったが、すぐに売り切れ。3種入ったオニオンスープを買って、小分けで知人に配った所大好評。でも、これうまいから楽天辺りで買ってしまうかもしれない。
飛行時間なんてあっという間。すぐに到着。今回はタラップで降りてバスで移動。そのまま京急線に乗り、夜11時には家に到着した。
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明日は月曜日。現実に戻される日々となるが、旅行で出会った方々も日々の暮らしをしている。その中に私が通り過ぎただけだ。この通り過ぎた僅かな時間が、きっと新しい良い思い出として残る事を願い、床に就いた。
この旅行で、「たまには過去を振り返って、ドップリつかってもいいよね」と思った。未来は分らない。でも振り返ったら、自分の軌跡がある。この軌跡は消えない。あえて消さなくてもいい。それが自分だけの思い出なのだから。
~ 北海道旅行記 完
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北海道旅行4日目 士別市内、同級生と飲み会 ― 2010/11/11 21:00:00
岩尾内ダムから戻ってきて、士別市内で見納めておきたい所を車で周る。
学田スキー場跡地。切っても切れない思い出の場所。リフトも外され、備え付けのジャンプ台やロッジの面影もない。ただの丘になっていた。
士別市役所。物心ついた時から全く変わっていない建物と敷地。一体何年前からの建物なんだろう。
よくお世話になった整骨院が同じ建物で健在。
幼稚園から親しんできた西香園(さいこうえん)。1丁目区画丸々あったのが、今では1/3程度に。唯一登ったりして遊んだ二股の木があった。
40号線の裏手に。懐かしい看板が。
つくも横丁、まだやっているのか! 驚いた。裏の風貌は当時のままだ。
国道側より。サンシャインエイトビルの名前は、昔のままと変わらないのだが、表と裏では別の建物にしか見えない。
なんと、日帰り入浴できるのか。
入浴料500円、貸しタオル300円。中々温まる。昔からあったのに、ここのお風呂に入ったのは初めて。
「きのこ採っている最中に雨に降られたからきた」とか、[暫くぶり」とか、普通に地元民が利用しているお風呂場だったんだな。今度泊まる時、ここでもいいかもしれない。
そろそろレンタカーを返す時間が。ガソリンを満タンにする。200km位走ったのに10リッター。最近の車はガソリンを食わないんだな。
返す時間は3時半。10分前に到着。乗り捨て場所は、駅近くでもホテルでもなく、南町の方向。結構遠い。急ぐ旅でも無いし、周りを見渡しながらゆっくりとホテルまで歩いていこう。
ダイソーがあるんだな。
その後、色々と思い出の場所をカメラで撮りながら、ホテルへ。明日の準備やら、着替えやらしていたら、もう夕方。
今回の目的の一つ、楽しみにしていた旧友との飲み会。中学の時の面々と会うことになる。誰も高校以来だ。高校を卒業してからの飲み会なので、初めての事だ。
更に2人が駆けつけてくれて、大変な盛り上がり方になった。
昔の事から、今の事まで色々と談笑。話題が尽きることなくドンドン酒が注ぎ込まれる。
皆変わっていなくて何よりで。7時から飲んでいたのが、気が付けば12時閉店。それにしても、飲みすぎたwww
→ 酔っ払いすぎて、最終日へ
北海道旅行4日目 岩尾内湖、岩尾内ダム ― 2010/11/11 18:00:00
小さい頃、良く従兄弟のおじさんに連れて行ってもらったり、遠足で来た場所。その場所へ自ら車で行くのは初めてである。単調な道がずっと続く。周りが全部畑の所を真っ直ぐ走る。
走ること約40分、昔あったドライブインが見えてきた。現在では廃墟。
途中の休憩所で休憩し、白樺並木を超えて更に湖の真ん中へ。
湖の中央にある神社山公園に到着。日帰り旅行の殆どの場合、ここでレクレーションが行われる。バーベキューなども出来る様になっているが、今時期は閉鎖中。
何となく見覚えのある風景。オニヤンマを採ったり、帰りの車で酔ったりしたなぁ。
ここに来ている人は私と、つりで来ている2人だけ。水の透明度と、急に深みを帯びるのは、昔の印象とまるで変わらない。ここでつりもやったな。中学校の時だったな。
この付近、ケータイは圏外になる。GPSもケータイも当たり前の時代だから、こうして簡単に一人で車で初めて走る道を間違わずに来れるわけだよな。
岩尾内ダムの上も走ってみた。小さい頃広く感じたのだが、2台の車のすれ違いは出来ない狭い道路だった。
来るだけで、もう大きな満足度に浸ることができた。さて、レンタカー返却が3時半だ。そろそろ戻るとしようか。
北海道旅行4日目 つくも水郷公園、九十九山 ― 2010/11/11 00:00:00
10時頃にホテルを出発。まずはつくも水郷公園。小学校の時は良く遊んだ公園だ。土曜日なのに、人が一人も居ない。そうか、11月から閉園なんだな。閉園といっても、柵で覆われているわけでないから普通に入れる。
そうか、ここでエビ釣ったり、ボート乗ったりしたなぁ。記憶の片隅から色々思い出してきたよ。
ゴーカート場。コースがそのままあって、ある意味驚く。その近くは天塩川が流れている。レインボーアーチの出入り口も懐かしい。
車で5分ほどの場所にある九十九山。5月の花見とか、初詣に賑わいを見せる。周りが砂利道だらけだったのに、付近は殆どが舗装されていた。
北海道旅行3日目 霊水山不動院 ~ ホテルへ ― 2010/11/10 00:00:00
ここがお不動さん。来るのは高校卒業以来。お不動さんに来た目当ては、もちろん「水」。大正12年からなので、比較的近年のものなのだが、地元人で知らない人は、まずいないだろう。一応ラジウム鉱水。
真夏でも枯れる事なく、真冬でも凍る事なく流れ続ける水である。誘導用の管が出ていて、湧き水なので当然蛇口など無い。そのまま飲める水である。
飲み終えたペットボトルに頂く事とした。まずは一杯。そしてそれを飲み干し、更に詰めて持ち帰る。こういう場所がまだあるのは、本当にいいよな。
市内を色々車で徘徊。変電所近くでは虫取りやったよな。親の実家だった畑も見てきた。水田だった時に、従兄弟と田んぼの中に入ったりしてゲンゴロウとか捕まえたよな。とうもろこしも栽培したときもあったな。今では遠い思い出。
時間は3時半。もう暗くてヘッドライトをつけなければ走行が難しい。ましてや、街灯もないし、ガードレールすらない田んぼ道。おまけにヒョウまで降ってきた。
車でまだ回りたかったのだが、この天気では仕方ない。なごり惜しみつつホテルへ向かう。
部屋の中。もちろん禁煙ルーム。楽天トラベルとか提携していないのが残念だが、ネット予約だと一泊6000円でお釣りが来る。
それにしても、立冬近い5日の4時過ぎで真っ暗なんだからな。
ウォシュレットは、もう今となっては当たり前の設備となっている。北海道なので、便座が冷たいのはやむを得ない所だ。それと、この部屋、イオン式の空気清浄機が入っている。ちょっと放電音が気になるが、寝る前に消せば問題ない。
夜はネットだwww このホテルは、有線LAN形式である。LANケーブル接続部分が枕元にあるので、延長ケーブル必須。こういうときはワインド式のLANケーブルを持っていると非常に便利。
テーブルタップは、モバイルネット廃人にとって、もはや必須アイテム。これでアクセス完了!北海道旅行記の5日までは、正にここからの配信。お不動さんの水を飲みながら、ネット三昧だ。
いい加減お腹も空いてきたので、1階にあるレストランで食事。ケータイのGPSをみると、改めて北海道にいる事を実感。セット物はかなり満腹になった。お酒を飲んでほろ酔いになった所で、床に就く。明日も色々見に行くぜ。
→ つくも水郷公園、九十九山へ
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北海道旅行3日目 士別高校跡地 ― 2010/11/09 12:00:00
さすが、北海道は信号機が少ないのと、平日だった事もあって、2時半に士別に到着。
私を含む親戚一同は、もう士別に居ないのだが、どうしても見ておきたい箇所がいくつもあり、今回の旅行に相成ったわけだ。
一年位前に、インターネットで自分の高校が2008年で閉校した事を知り驚く。それから2年半経ったが、どうなったのだろうか。
高校はこの緩やかな坂を登って右手にある。道路は、昔通ったそのまま残っている。
この周りの環境とか、今思うといい場所だったんだな。「いいひと」の高橋しんも、この高校出身なのだが、彼の漫画のカットには、この高校とその周りの環境に良く似た部分があって驚いた事があったな。
見えてきた。学校のプレートは削られ、1階は積雪対策用のベニヤ板で囲われていた。
これは、1999年2月に訪問した時の姿。
たった2年で廃墟と化した高校。写真では詳しく見えないのだが、至るところ朽ちている。
高校統合をして、名前が変わり、昔の商業高校跡地に移転した様だ。少子化と人口減少に伴う事なので仕方は無いのだが、寂しい限りである。
駐輪場の屋根が大きく曲がっている。人が居なければ、たった2回の冬を越しただけで、こうなるものなのか。小・中学校、高校が全て建替えられ、高校は名前が無くなった事で、私の目で確認できる物は、この廃墟となった高校跡地だけとなる。いずれここも取り壊されるであろう。
グラウンドに入ってみる。足元はぶよぶよになった土に雑草。テニスコートのフェンスは曲がり、サッカーのゴールはこれから試合でも待っているかの様に定位置に置かれている。
フェンスには、今となっては所々外れて読めなくなったボードが哀愁を奏でる。
まだまだ使えそうな体育館。
学園祭の時にここが作業場所になったな。
高校の坂の入り口付近にある、生徒御用達だったお店。部活を終わってから談話したり、ジュースを飲んでいた光景を思い出す。よく、放課後にアイスを買い食いして帰ったものだ。今となっては何もかも懐かしい思い出だ。
→ 北海道旅行3日目 霊水山不動院 ~ ホテルへ
北海道旅行3日目 塩狩峠(2) ― 2010/11/08 00:00:00
今回の旅行で見たい場所の一つ、塩狩峠の旧道。しかし既に車両通行止めになっていた。ならば歩いて見て来よう。旧道を通ったのは、高校を卒業する前が最後だ。もう見られることは恐らく無いだろうから。
見てきた場所は、赤い部分。大体1.2Km位の距離だ。行きは下り、帰りは登りとなる。
大きなゲートをくぐった後に歩いていく。路面が濡れていて、ミミズが結構いた。滑らないように注意しながら進んでいく。
少し歩くと、更に通行止めのバリケードが。隙間から更に進む。
左右の植物がどんどんと道を覆っている。昔の様な広さではない。
比布側の標識が見えた。
標識の下は舗装されているはずなのだが、草木で埋め尽くされている。
振り返ると、和寒側の標識。
この看板は見覚えがある。注意してみないと見落とす位、植物に隠れてしまっている。
かつて40号線のメインの道路だったのだが、ゆっくりと自然に帰っていく。
比較的広かった右カーブの道路も、左が谷底になっているなんて到底思えないほど、笹などの植物で覆われている。
更に進んでいくと、どんどん道が狭まっていた所が少し開けた。といってもここは元々広い場所。当時、このカーブと共に見た景色がオーバーラップしてきた。
右カーブを超えると、左カーブが見えてきた。左手の方は草木がいっぱいあるが、下は崖である。もう少し行こうとしたが、戻りが辛くなるので、ここで引き返す。自分の記憶を引き出すには十分だ。
戻りは、登坂なので少し体が温まった。道路上の積雪時の道路区間を示す「↓」も超えてくる植物で、右側のガードレールすら確認ができない。
誰かが自転車で通った比較的新しい轍があった。サイクリングをする人でもいるのだろうか。
往復で約40分。その間、この峠が私の中に記憶しているものを次々と引き出してきた。そうなんだ、私はこの故郷で生まれ育ったのだと実感した。
今一度、戻ってきた道を振り返り、軽く会釈をした後に塩狩峠を後にした。
→ 士別高校跡地へ
北海道旅行3日目 塩狩峠 ― 2010/11/07 00:00:00
旭川から北上、比布トンネルを通る。昔の様な暗く圧迫したトンネルから、近代的なトンネルに様変わりしていた。時代は変わっていくんだな。
暫く走って塩狩峠にやってきた。気温は1℃。大変寒い。というか、耳が痛い。12年前に来た時には既に新道になっていて、昔の「クラクション鳴らせ」の標識があった旧道と違い、とても走り易くなっている。しかし、私の心には、小さい頃に父に連れられて旧道を走ったものなので、思い出がまた一つ消えた場所でもある。
高速道路も幹線道路に沿った形で張り巡らされている。しかも、無料で。私が上京してきた時は、高速道路は千歳から札幌までしか知らない。
車の往来はあるものの、ここには私一人。右にはロッジ風の建物が。
近づくと、それはトイレ。立派な作りだ。用を足しておこう。
建物の脇には雪が残っていた。峠なので11月で積もっても不思議ではない。むしろ遅い?
綺麗なトイレだ。待合室にもなっている。
折角なので、塩狩駅を見学する事に。200メートル位北に走った右手に駅がある。
12年前に来た時は、2月という真冬だったが、風景は変わっていない。
これが12年前の塩狩峠(厳密には1999年2月なので11年と8ヶ月)。デジカメでなく、フィルムカメラで撮影したものをスキャナーで取り込んでみた。
そして、ここは三浦綾子「塩狩峠」の元となった1909年2月28日に鉄道事故で殉職した「長野政雄氏殉職の地」でもある。
昼というのに、列車の往来などは無い。ホームは昔とそう変わっていない。
待合室に入ってみる。
無人駅の待合室は、耳が痛くなる程静まり返っている。
列車の時刻表。本数が1時間に一本も無い。
北海道 宗谷本線 塩狩駅 13:08 名寄行を見ることが出来た。当然の様に乗降客はいなかった。それにしても寒くて手が震える。
さて、列車をやり過ごしてから塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅へ。
丘をあがって行くと、三浦商店を復刻した感じの建物が。早速中に入る。
一階は食堂ぽい待合室やら、バリアフリーの台所、昔の家から持ってきたソファーや北海道では珍しくない、煙突の熱でお湯が沸かせられるストーブがあった。二階は畳やタンスなどがそのまま展示されていた。古い物を大事に使う方という印象だった。
館内展示物は撮影が出来ないので、出来るだけ目に焼き付けてきた。この窓からみた景色、三浦綾子氏はどう感じたのだろう。
帰り間際に、塩狩峠の旧道について聞いてみたら、歩いてなら見られるそうだ。恐らくもうチャンスは無いと思い、この目で確かめる事に。
→北海道旅行3日目 塩狩峠(2)へ
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北海道旅行 2日目 富良野、美瑛方面、3日目 旭川~国道40号線 ― 2010/11/06 03:40:39
4日の日は、友人がなんと私の為に有給を取ってくれて、上富良野方面など、北海道観光に案内してもらった。
次の日。身支度を済ませ、部屋を後にする。
今日はレンタカーを借りる日。トヨタレンタカー近くの喫茶店で時間を潰す。
手始めに運転慣れするため、旭川市内をぐるぐる回り、慣れてきたあたりで法事へ。お寺へGO!
御布施を渡すふくさを持ってなくて、前日旭川市内を歩いたとき、西武の着物屋さんにある事が分かった。
12年ぶりの墓参り。最近の納骨堂はお供え物を持ち帰ることになっていて、線香やローソクも消火して帰る。安全上の事なので仕方がない。
色々思い出すことは多いが、それに浸っている時間はない。
ああ、これが有名な旭川のロータリーか。まあ、都内の運転の方が複雑なので、意外と楽勝だった。
進路を北へ。最後に、自分が運転したのが20年振り。今では高速道路も走っている。しかも無料だった。しかし、あえて私は下の道路を通ることに。
30年前の建物がまだ国道40号線に残っていた。東芝テレビの看板が哀愁を誘う。キッコーマンの看板は錆びてもう読めない状態だった。
この時期は除雪車の往来をよく目にした。
北海道旅行 旭川 歓楽街へ ― 2010/11/05 09:13:18
『何食べたい?』
「さしみと日本酒w」
ホテルから歩いて3分。旭川では「さんろくがい」と言う場所が、このホテルから近いのである。
今回案内してもらったのは、田子兵衛という海鮮居酒屋。彼曰く、満席になる事も多いそうだ。
夕方6時でお客は私達だけ。そりゃそうだ。今日は文化の日の祝日。というわけで奥のお座敷に。(後で分かった事だが、この田子兵衛、事前に教えてもらったお勧めリストにも、ちゃんと入っていた。)
「いらっしゃいませー」
店とは到底ミスマッチなGAL店員が。スカート短いってwww
といっても、色々と料理やお酒の事を面倒くさがらず、丁寧に説明してくれる頼もしい人である。
色々食べた後に、マッタリ呑みはじめようか。
氷の下の魚と書いて「こまい」でかっ!! 骨が柔らかいので全部食べられる。
鹿の刺身(ルイベ)北海道は近年の鹿被害で鹿を駆除しているそうで、旭川の居酒屋さんは結構出しているそうだ。ここは、それを刺身で出している。最初ちょっととまどって、恐る恐る食べてみたが、あれ臭みがまったくないヘルシーな刺身っていう感じで、拍子抜けしてしまった。ルイベでも溶けかかった時でもどちらでもイケル。
お次は刺し盛り。まず洗面器大のお皿に圧巻。つぶ貝、たこの頭、えんがわ、筋子のしょうゆ漬けが惜しみも無く厚切サイズで出てくる。当然、ビールからお酒に切り替えた。
お酒は種類豊富なので、直接現地で確認したほうが良いだろう。
エヴァンゲリオンでも登場する山口のお酒「獺祭(だっさい)」も置いてあった。
ズワイガニのかにみそ。缶詰ではなく、自家製。これを食べながらの日本酒はマジ格別。ここまで来ると、日本酒以外の選択肢は考えられない。
俺、一昨日まで床に臥せてたんだけどなwww
その他、色々一品料理を平らげ、時間は10時前。スナックあたりでもと言うことで彼行き着けの店をあたるも、祝日はお休み。事前に教えてもらっていたさんろく近くの「パンジー」へ入店。昔話をしたり、カラオケを歌ったりであっという間の時間が過ぎていった。
帰りタクシーで送る時、
『明日、有給とってあるよ』
「は?」
えええええええええええ
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