過去の記事の検索が簡単にできるよ (・∀・) 例 ランチャー9
youtubeで懐かしい秋葉原の風景があることを知る。この頃はまだ学生で、学校の実習で使うICや部品などを買いに出かけたものだ。そんな時代を彷彿させる貴重な映像。
今では、グーグルマップのストリートビュー機能で擬似散策ができるから便利なものだ。
これから紹介するGoogleストリートビューは2007年12月収録のものである。
さて、動画を観てみる。国電秋葉原の電気街口改札を出ると見える光景。国電、すなわち日本国有鉄道は、翌年1987年4月からJRとして生まれ変わる。
オノデンが当時のままの看板の位置にある。左手に黄色いのが少し写っているが、ラジオ会館。
秋葉原の山手線側のガード下。ニュー秋葉原センターがある。
こちらはそんなに変わらず。
おお、これは懐かしい。ラーメンいすゞだ。生姜ベースの醤油で独特の風味。特別おいしいというわけでないが、部品とか、秋葉原で買い物をした帰りに、ついつい寄ってしまう店。もちろん行列ができるが、回転が恐ろしく早いので、待たなくても食べられるのが良かった。
この味で同じ店は、まだ巡り合っていない。駅ビル改装が決定して2000年頃に惜しくも無くなってしまった。閉店後暫くは銀座でオープンしていたが、短期間で閉店。いすゞの味を作ったと言われる方が上野の青龍というラーメン店という情報がある。
この部分一帯は全部改装。現在ではJRのおしゃれなビルになっている。
総武線側のガード下。ラジオセンターとラジオストアがある所だ。
中央通りを通ればオヤイデと東京ラジオデパートが見える。
ラジオデパートの看板は10年位前に今のこのニキシー管ぽい色になった。店構えはそんなに変わっていない。しかし、閉店していたり、中の店員さんが次の世代にバトンタッチされている所が増えてきた様だ。
今はもう無いアド電子。アド電子でパーツを買ったのは1998年頃が最後だっただろうか。2階に移転していたと記憶する。
現在ではこんな様子。右手一番角の鈴商の方が古いかもしれない。
昌平橋から見た総武線の鉄橋。
現在でも変わらず。
中央線、御茶ノ水方面のれんが作りの橋脚。
驚くことに全く変わっていない。
秋月電子。まだ有限の頃だ。場所はどの辺だろう。
動画を見ながらこうして振り返ると、小学生4年から電子に興味を持ち始め、学生の頃から現在に至るまで、ずっと電子部品に慣れ親しんで来たんだと改めて感じた。
昔の秋月の場所ですが、今のツクモパソコン本店の入り口付近
パソコンハウス東映や佐川急便の並びです。
この写真は現在ゆうちょのATMがあるあたりからツクモパソコン本店Ⅲ
方面を写したものですね。
秋月が現在の場所に移転する時、広さが5倍(だったかな?)になります。なんて宣伝が出てましたけど、それまでがかなり狭かったので。。。
信越電気のちらしの場所の様に、一本線路側に近い方ですね。
昭和62年の頃は行ったかも知れませんが、もう記憶にない状態ですw
蒲田のカマデンやICツールが近かったのでそちらを利用していました。
いやはや懐かしいです。エアバリさんよりも一回り以上は古いnobchaです。
ワタシの場合は大阪から銀河号(東海道線での急行の夜行)で世田谷の砧近辺にあった信越まで行きました。
アキオさんがまだ高校生ぐらいです。彼はそのころカブでアキバへ自作の部品を買いに行っていて、会長がうちんちにある部品使えばこづかい助かるのにと言ってました。
うーーーん、墓石、化石時代です。
これは貴重なお話です。元会長もジサカーだったんですね。
高校生時代にお会いしているとは。
私の場合は、北海道でしたので、街の電気屋さんが部品を抵抗一本から取り寄せてもらっていましたが、NE555が800円とかメタル缶のオペアンプが1000円とかで、結局キットを買ったほうが安い環境でした。
(高くても親が部品代を出してくれたのでまだ恵まれていたと思います。)
ラーメン屋も懐かしいな。
その裏の駅ビルみたいなとこの1階に
お好み焼きやタコ焼き、焼きそばを売ってる
店がありましたよね。
中学生の頃から食べてたなぁ。
私は、カウンターのさぬきうどんとオニギリをよく昼に食べていました。
今じゃ綺麗になりすぎてしまって、昔の面影がどんどん無くなっていきます。たこ焼きや焼きそば屋も奥にありましたですね。
いすゞの味に匹敵するラーメン屋が中々無いのが残念です。また食べてみたいw
パソコンハウス東映や佐川急便の並びです。
この写真は現在ゆうちょのATMがあるあたりからツクモパソコン本店Ⅲ
方面を写したものですね。
秋月が現在の場所に移転する時、広さが5倍(だったかな?)になります。なんて宣伝が出てましたけど、それまでがかなり狭かったので。。。