【ニュース】アマゾン:日本上陸10年 送料無料で攻勢 ― 2010/11/01 23:33:46
アマゾン:日本上陸10年 送料無料で攻勢
1日には商品配送の原則無料化を発表するなど、さらに攻勢をかける構えを見せている。一方、ライバルの楽天だけでなく、大手流通グループなどもネット通販に本腰を入れ始めており、アマゾンと国内各社との競争は激しくなりそうだ。 2010年11月1日 22時9分 更新:11月1日 22時19分 毎日.jp今までも期間限定で無料にしていたが、送料無料化のプレス発表は初めてである。
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風邪ひきさん ― 2010/11/02 00:00:00
北海道旅行 羽田~旭川~旭川ラーメン村 ― 2010/11/03 17:58:48
2日間、本格的な風邪でダウンしていたが、今朝はとりあえず体力が回復。
さて、今日はちょっと用事でコンビニいってくる。というわけで、羽田へGO!
(実際は法事です)
国内線を使うのは暫くぶり。京急線は品川から直通の電車があって、急行でも普通料金でアクセスできるのがよい。1時間ちょっとで羽田到着。今回の飛行機はエアードゥ。カウンターが遠いとかあるが、他社便と比べるとレンタカー代が浮くくらいのコストの違いは大きい。
エアードゥが安いといってもANAとの共同運航で、普通に快適。10年位前に利用したときは、タラップだったが、今回は普通にボーディングブリッジ。シートだってエコノミークラスの普通のだし、ヘッドフォンも貸し出してくれる。一時間ちょっとのフライトなのに、ジュースやオニオンスープが出て幸せ。無駄のないオンデマンドサービスだ。
追記へ(ちなみに、上の写真は搭乗直後に撮影したが、その数秒後に美人のスチュワーデスに注意された。良い子は真似しないようにwww
デジカメを含む殆どの電子機器は、離発着時以外に地上待機中でも使用できないので注意が必要だ。電卓や電気かみそりはOK。でも電気かみそりを隣でやられるのはちょっとなぁww どうしても離発着を撮りたければ、許可の上、写るんですでも使うと良いだろう。)追記へ
2013/11追記
機内における電子機器の使用について
2011年4月1日(金)より、機内での電子機器類の取り扱いが一部変更され、飛行機のドアが開いている場合に限り、携帯電話などの使用が可能となりました。 |
あっという間に旭川空港に到着。外に出ると寒い。予想はしていたが、現地は日中でも9℃。都内では17℃位だったから寒暖差が激しい。
ラーメン村神社?なにかご利益でもあるのか?麺結びの神様らしいw
何だか熱海の秘宝館(爆)のふいんき(なぜか変換できない)を思い出してしまう作り。
また派手な待ち合わせ場所だな。なるとがクッションの椅子になっている。
8店舗もあるから、普通に迷う。決めてくれと言われてもそりゃ酷だよwww
昔ながらの味を出している所ということで、地元のことの助言も手伝い、老舗の青葉へ。
ほほーこれは、昔から食べていたラード系のラーメンだ。流行の太麺でもなく、魚介類のようにニボニボしている訳でもないのだが、体に優しい味で、むしろ私ごのみ。
やっぱり、旭川のラーメンはラードだなぁと改めて思った一杯だ。
まだホテルのチェックインまで時間があるな。
「折角なので、あそこでも行こうか」
え?どこ、なに? 正直生まれと育ちは北海道でも、人生の半分以上を関東で暮らしている私にとっては見当もつかない。(うそ)
友人の車に身を任せ、更に旭川郊外へと走っていくのであった。
→ 北海道旅行 旭川 旭山動物園へ
北海道旅行 旭川 旭山動物園 ― 2010/11/03 21:09:49
ラーメン村から車で約10分、次に案内されたのは、今では全国でも有名になった旭山動物園だ。私が最後にここに来たのは、おそらく中学校の時の遠足か、いやまて?家族旅行だったか?
「あのフラミンゴの足、おにいちゃんの足みたい」とか妹に突っ込まれたりした気がする。まあ、それ位の年月は経っているのは確かである。
当時のゲートがどんなものかも記憶にない位である。現在の時刻は午後2時半。閉園が3時半とだが、どんな感じか位は確かめたかったので、入園。
北海道民優待割引もある。1000円で年間パスになる。
閉園1時間前で、小雨がぱらつく天気なので、一見人もまばら。確かに地形はこんな感じだったな。当時の記憶は桜がこの動物園の真ん中に咲いていた。旭川の桜は4月下旬~5月なので、その位に来た気がする。
大人になって来た旭山動物園は、例えるなら箱庭。そんなに広くないのだが、昔見た檻の中を見せる動物園とは様変わりしていた。
例えばペンギン。このレイアウトだけでも至近距離で見られるのだが、更にこの施設は、
何と!下からも見学できる様にパイプ状になっているのである。
動物園は話のネタにというノリで入ったのだが、これを見て一気に「来て良かった」と思わせる程の物だ。
都内近郊にもアクアチューブ採用の水族館はあるが、大抵魚。ペンギンやアザラシの泳いでいる姿を下から見られるのは、知っている限りではここだけかもしれない。
地上ではもっさりとした動きのペンギン達が、水中に入った途端、別の生き物の様に縦横無尽に泳ぐ姿は私の目の中にも焼き付けられた。
アザラシのショーは人気があり、人の山。何とか隙間に入れてもらって見学する事ができた。
愛想を振りまくゴマアザラシ。お前はウナギかwww
それにしても、今の気温
3.5度! どおりで寒いわけだ。
なのに、この表情である。人間なら心臓発作してしまうレベルだ。
白熊の見せ方も実に面白い。下から水槽越しでも、上からでも見られる。中の人などいない。
クマー!! ヒグマである。木彫りの熊ではない。こいつはこんな顔して危険。
アムールトラは、もぐもぐショー(餌を与えるのを実況する)をやっている真っ最中。トラが落ち着かない状態だ。
くろひょうは、身軽さと軽快さでビル4階程の高さに簡単に登っていく。この檻も工夫がしてあって、下からも覗ける工夫がされている。猛獣の場合、「お尻を向けたらおしっこ注意」と至る所に注意書きが書いてあった。ここまで近くまで見学できると言う事だ。
アムールヒョウ。近い近い近い。肉球をみるとお前は猫かと突っ込みをいれたくなるが、スケールが違いすぎ。手は自分の手よりももっと大きい。
北海道旅行 旭川 格安ホテル ― 2010/11/04 09:25:45
旭川駅に到着。
荷物と一緒にホテルまで送って頂いた。晩御飯を後で食べる約束をして、とりあえずホテルに入る。
市内の気温は5℃。やっぱり寒い。そして明日が平日ということもあり、人がいない閑散とした街である。
さて、チェックインを済ませ部屋の中に。楽天トラベルで探した所だが、一泊4500円の禁煙ルームでネット接続OKの部屋だ。
内装を最近変えたようで、カーペットや壁紙が新品である。ベッドも広い。
地デジ対応テレビ付き。その上は有料チャンネル用カードリーダー。
ズボンプレッサーがある。ビジネスホテルとして有用。
トイレもウォシュレット対応である。
ただし壁が薄いのと、キーが昔ながらのアクリル棒に付いているタイプで、中からのロックが無いので、「起こさないで」札をかけておかないと、掃除の人が入ってきてしまう危険もあるが、値段が安いので、そこは我慢しよう。
この部屋はネットが使えるので、この線をLANコネクターにつなぐだけで、
メールやインターネットが普通に出来るのだ。旅先からもパソコンは欠かせない私にとって、これは重要な事だw
【ニュース】中国漁船衝突:ビデオ映像がネット流出 ― 2010/11/05 01:43:31
北海道旅行 旭川 歓楽街へ ― 2010/11/05 09:13:18
『何食べたい?』
「さしみと日本酒w」
ホテルから歩いて3分。旭川では「さんろくがい」と言う場所が、このホテルから近いのである。
今回案内してもらったのは、田子兵衛という海鮮居酒屋。彼曰く、満席になる事も多いそうだ。
夕方6時でお客は私達だけ。そりゃそうだ。今日は文化の日の祝日。というわけで奥のお座敷に。(後で分かった事だが、この田子兵衛、事前に教えてもらったお勧めリストにも、ちゃんと入っていた。)
「いらっしゃいませー」
店とは到底ミスマッチなGAL店員が。スカート短いってwww
といっても、色々と料理やお酒の事を面倒くさがらず、丁寧に説明してくれる頼もしい人である。
色々食べた後に、マッタリ呑みはじめようか。
氷の下の魚と書いて「こまい」でかっ!! 骨が柔らかいので全部食べられる。
鹿の刺身(ルイベ)北海道は近年の鹿被害で鹿を駆除しているそうで、旭川の居酒屋さんは結構出しているそうだ。ここは、それを刺身で出している。最初ちょっととまどって、恐る恐る食べてみたが、あれ臭みがまったくないヘルシーな刺身っていう感じで、拍子抜けしてしまった。ルイベでも溶けかかった時でもどちらでもイケル。
お次は刺し盛り。まず洗面器大のお皿に圧巻。つぶ貝、たこの頭、えんがわ、筋子のしょうゆ漬けが惜しみも無く厚切サイズで出てくる。当然、ビールからお酒に切り替えた。
お酒は種類豊富なので、直接現地で確認したほうが良いだろう。
エヴァンゲリオンでも登場する山口のお酒「獺祭(だっさい)」も置いてあった。
ズワイガニのかにみそ。缶詰ではなく、自家製。これを食べながらの日本酒はマジ格別。ここまで来ると、日本酒以外の選択肢は考えられない。
俺、一昨日まで床に臥せてたんだけどなwww
その他、色々一品料理を平らげ、時間は10時前。スナックあたりでもと言うことで彼行き着けの店をあたるも、祝日はお休み。事前に教えてもらっていたさんろく近くの「パンジー」へ入店。昔話をしたり、カラオケを歌ったりであっという間の時間が過ぎていった。
帰りタクシーで送る時、
『明日、有給とってあるよ』
「は?」
えええええええええええ
北海道旅行 2日目 富良野、美瑛方面、3日目 旭川~国道40号線 ― 2010/11/06 03:40:39
4日の日は、友人がなんと私の為に有給を取ってくれて、上富良野方面など、北海道観光に案内してもらった。
次の日。身支度を済ませ、部屋を後にする。
今日はレンタカーを借りる日。トヨタレンタカー近くの喫茶店で時間を潰す。
手始めに運転慣れするため、旭川市内をぐるぐる回り、慣れてきたあたりで法事へ。お寺へGO!
御布施を渡すふくさを持ってなくて、前日旭川市内を歩いたとき、西武の着物屋さんにある事が分かった。

12年ぶりの墓参り。最近の納骨堂はお供え物を持ち帰ることになっていて、線香やローソクも消火して帰る。安全上の事なので仕方がない。
色々思い出すことは多いが、それに浸っている時間はない。
ああ、これが有名な旭川のロータリーか。まあ、都内の運転の方が複雑なので、意外と楽勝だった。
進路を北へ。最後に、自分が運転したのが20年振り。今では高速道路も走っている。しかも無料だった。しかし、あえて私は下の道路を通ることに。
30年前の建物がまだ国道40号線に残っていた。東芝テレビの看板が哀愁を誘う。キッコーマンの看板は錆びてもう読めない状態だった。
この時期は除雪車の往来をよく目にした。
北海道旅行3日目 塩狩峠 ― 2010/11/07 00:00:00
旭川から北上、比布トンネルを通る。昔の様な暗く圧迫したトンネルから、近代的なトンネルに様変わりしていた。時代は変わっていくんだな。
暫く走って塩狩峠にやってきた。気温は1℃。大変寒い。というか、耳が痛い。12年前に来た時には既に新道になっていて、昔の「クラクション鳴らせ」の標識があった旧道と違い、とても走り易くなっている。しかし、私の心には、小さい頃に父に連れられて旧道を走ったものなので、思い出がまた一つ消えた場所でもある。
高速道路も幹線道路に沿った形で張り巡らされている。しかも、無料で。私が上京してきた時は、高速道路は千歳から札幌までしか知らない。
車の往来はあるものの、ここには私一人。右にはロッジ風の建物が。
近づくと、それはトイレ。立派な作りだ。用を足しておこう。
建物の脇には雪が残っていた。峠なので11月で積もっても不思議ではない。むしろ遅い?
綺麗なトイレだ。待合室にもなっている。
折角なので、塩狩駅を見学する事に。200メートル位北に走った右手に駅がある。
12年前に来た時は、2月という真冬だったが、風景は変わっていない。
これが12年前の塩狩峠(厳密には1999年2月なので11年と8ヶ月)。デジカメでなく、フィルムカメラで撮影したものをスキャナーで取り込んでみた。
そして、ここは三浦綾子「塩狩峠」の元となった1909年2月28日に鉄道事故で殉職した「長野政雄氏殉職の地」でもある。
昼というのに、列車の往来などは無い。ホームは昔とそう変わっていない。
待合室に入ってみる。
無人駅の待合室は、耳が痛くなる程静まり返っている。
列車の時刻表。本数が1時間に一本も無い。
北海道 宗谷本線 塩狩駅 13:08 名寄行を見ることが出来た。当然の様に乗降客はいなかった。それにしても寒くて手が震える。
さて、列車をやり過ごしてから塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅へ。
丘をあがって行くと、三浦商店を復刻した感じの建物が。早速中に入る。
一階は食堂ぽい待合室やら、バリアフリーの台所、昔の家から持ってきたソファーや北海道では珍しくない、煙突の熱でお湯が沸かせられるストーブがあった。二階は畳やタンスなどがそのまま展示されていた。古い物を大事に使う方という印象だった。
館内展示物は撮影が出来ないので、出来るだけ目に焼き付けてきた。この窓からみた景色、三浦綾子氏はどう感じたのだろう。
帰り間際に、塩狩峠の旧道について聞いてみたら、歩いてなら見られるそうだ。恐らくもうチャンスは無いと思い、この目で確かめる事に。
→北海道旅行3日目 塩狩峠(2)へ
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北海道旅行3日目 塩狩峠(2) ― 2010/11/08 00:00:00
今回の旅行で見たい場所の一つ、塩狩峠の旧道。しかし既に車両通行止めになっていた。ならば歩いて見て来よう。旧道を通ったのは、高校を卒業する前が最後だ。もう見られることは恐らく無いだろうから。
見てきた場所は、赤い部分。大体1.2Km位の距離だ。行きは下り、帰りは登りとなる。
大きなゲートをくぐった後に歩いていく。路面が濡れていて、ミミズが結構いた。滑らないように注意しながら進んでいく。
少し歩くと、更に通行止めのバリケードが。隙間から更に進む。
左右の植物がどんどんと道を覆っている。昔の様な広さではない。
比布側の標識が見えた。
標識の下は舗装されているはずなのだが、草木で埋め尽くされている。
振り返ると、和寒側の標識。
この看板は見覚えがある。注意してみないと見落とす位、植物に隠れてしまっている。
かつて40号線のメインの道路だったのだが、ゆっくりと自然に帰っていく。
比較的広かった右カーブの道路も、左が谷底になっているなんて到底思えないほど、笹などの植物で覆われている。
更に進んでいくと、どんどん道が狭まっていた所が少し開けた。といってもここは元々広い場所。当時、このカーブと共に見た景色がオーバーラップしてきた。
右カーブを超えると、左カーブが見えてきた。左手の方は草木がいっぱいあるが、下は崖である。もう少し行こうとしたが、戻りが辛くなるので、ここで引き返す。自分の記憶を引き出すには十分だ。
戻りは、登坂なので少し体が温まった。道路上の積雪時の道路区間を示す「↓」も超えてくる植物で、右側のガードレールすら確認ができない。
誰かが自転車で通った比較的新しい轍があった。サイクリングをする人でもいるのだろうか。
往復で約40分。その間、この峠が私の中に記憶しているものを次々と引き出してきた。そうなんだ、私はこの故郷で生まれ育ったのだと実感した。
今一度、戻ってきた道を振り返り、軽く会釈をした後に塩狩峠を後にした。
→ 士別高校跡地へ
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