ニフティは、5月24日、サービス開始から25周年を迎えたことを記念して、「再会、思い出、新コミュニケーション」をコンセプトにした新サービス「NIFTY-Serve(ニフティサーブ)」の提供を1年間の期間限定で開始した。利用料金は無料。
「NIFTY-Serve」は、同社が1987~2006年に提供していたパソコン通信サービス。電子メールや掲示板、フォーラムなどのサービスを提供していた。
~中略~ 参加方法は、すでに「NIFTY-Serve」を利用しているFacebook上の「友達」から招待を受けるか、「NIFTY-Serve」の「招待申請ページ」で申請し、ニフティから招待を受ける。なお、参加には「@nifty」Facebookページへの「いいね!」が必要。 (2012年5月26日
読売新聞)
Niftyserve懐かしい。初めて加入したときは1993の頃だ。プログラムの宝庫のパソコン通信にどんどんハマり込んでいって、それでは飽きたらず遂にはチャットやオフ会までにも出たことがある。
それ以前のパソコンといえば、これ。オフラインで使うのが当たり前であった。エプソンPC-486のノートPCの電源を入れてみる。電池は当然ないが、起動は普通にした。
Filmtn起動w DOS版のファイルマネージャーである。ファイルマネージャも今じゃ死語。
おおっ、昔作ったマインスイーパーがw タイトルがスーパーなのは、わざとなのか間違えたのか今となっては謎。ソースはクイックベーシックで作ってあったが、なんでこんなプログラムが作れたのかが、今では理解できない。
一応動作する。昔の私に会って色々聞いてみたいものだ。
GALやPALのソースコードも発掘。今じゃHDLで論理合成できるが、この当時はPARASMが普通に使われていた時代。もう18年も前になるのか。
これが動いたから何かやるわけでもない。昔のアルバムを見入ったり、旧友と会ったりすると同じ感覚。こういう風に起動して昔を思い出すのも良いかなと思ったりする。パソコンが起動するだけで、タイムマシンに乗った気になれた。
ついでにこれも引っ張りだしてみた。コンパックContura aero 4/33C。非常に愛着のあるパソコンの一つだ。キーボードと筐体は一度取り替えているが、基板とLCDは当時のまま。これがあった頃はNIFTY serve全盛期だった。キーボードの刻印が剥がれ落ちるまでチャットしたものだ。そしていろいろな人と会うきっかけもできた。
リブレット20も持っているが、それは比較的新しい。 私のパソコン通信時代は、このContura aeroなくして語れない。ISDN探してチャットしたとか、茨城の工場へ泊まり込んだ時に通信したとか、ホスト局を探して秀タームで繋いだ事が懐かしい。
悲しみのニフティサーブが流行りだした頃は、どちらかと言うとパソコン通信後半時代。
この時新横浜から相模原に引っ越した時期でもある。FMIDIORGで曲を色々作ったりしてアップしていた頃を思い出した。
あの当時の人たちは、今何をしているだろうか。
最近のコメント