北海道旅行3日目 塩狩峠 ― 2010/11/07 00:00:00
旭川から北上、比布トンネルを通る。昔の様な暗く圧迫したトンネルから、近代的なトンネルに様変わりしていた。時代は変わっていくんだな。
暫く走って塩狩峠にやってきた。気温は1℃。大変寒い。というか、耳が痛い。12年前に来た時には既に新道になっていて、昔の「クラクション鳴らせ」の標識があった旧道と違い、とても走り易くなっている。しかし、私の心には、小さい頃に父に連れられて旧道を走ったものなので、思い出がまた一つ消えた場所でもある。
高速道路も幹線道路に沿った形で張り巡らされている。しかも、無料で。私が上京してきた時は、高速道路は千歳から札幌までしか知らない。
車の往来はあるものの、ここには私一人。右にはロッジ風の建物が。
近づくと、それはトイレ。立派な作りだ。用を足しておこう。
建物の脇には雪が残っていた。峠なので11月で積もっても不思議ではない。むしろ遅い?
綺麗なトイレだ。待合室にもなっている。
折角なので、塩狩駅を見学する事に。200メートル位北に走った右手に駅がある。
12年前に来た時は、2月という真冬だったが、風景は変わっていない。
これが12年前の塩狩峠(厳密には1999年2月なので11年と8ヶ月)。デジカメでなく、フィルムカメラで撮影したものをスキャナーで取り込んでみた。
そして、ここは三浦綾子「塩狩峠」の元となった1909年2月28日に鉄道事故で殉職した「長野政雄氏殉職の地」でもある。
昼というのに、列車の往来などは無い。ホームは昔とそう変わっていない。
待合室に入ってみる。
無人駅の待合室は、耳が痛くなる程静まり返っている。
列車の時刻表。本数が1時間に一本も無い。
北海道 宗谷本線 塩狩駅 13:08 名寄行を見ることが出来た。当然の様に乗降客はいなかった。それにしても寒くて手が震える。
さて、列車をやり過ごしてから塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅へ。
丘をあがって行くと、三浦商店を復刻した感じの建物が。早速中に入る。
一階は食堂ぽい待合室やら、バリアフリーの台所、昔の家から持ってきたソファーや北海道では珍しくない、煙突の熱でお湯が沸かせられるストーブがあった。二階は畳やタンスなどがそのまま展示されていた。古い物を大事に使う方という印象だった。
館内展示物は撮影が出来ないので、出来るだけ目に焼き付けてきた。この窓からみた景色、三浦綾子氏はどう感じたのだろう。
帰り間際に、塩狩峠の旧道について聞いてみたら、歩いてなら見られるそうだ。恐らくもうチャンスは無いと思い、この目で確かめる事に。
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